昔は博士論文は国会図書館への納付が義務付けられていたように思いますが、最近では電子化によるオープンアクセスにより誰でもダウンロードする事が可能になっています。
今はとても便利な世の中になりました。図書館に行かなくてもある程度の文献資料をネット上で集める事ができます。
特に分野によっては殆ど日本語論文がない場合があります。
私の研究分野も日本人の先行研究されている方が数人しかおらず、海外から関連の最新論文をネットで探せたのはとても助かりました。海外の論文の方が早くから電子化されているので検索し易かった印象があります。
電子化されていると、学会発表の直前でも簡単に読むことができますし保管も楽です。
ただ、英語論文は最終的にはプリントアウトして熟読しないと理解出来ませんでした。笑笑
実際に研究する際にはプリントアウトした論文の山になりました。
実際に私の博士論文も大学のレポジトリとして公開されているのですが、ダウンロード数の確認もできるようで、なんと700回以上ダウンロードされておりました。
少しでも学術的な意味があれば、とても嬉しい限りです。
日本語論文の限界
Yahooや Googleなどの検索サイトを利用する際に言語選択で日本語と英語を選択してPDFで公表している文献や論文を探したりしていました。
以下、Yahooで検索する際にキーワードを入力し、検索の詳細設定を利用するとPDFの選択と言語を選ぶ事が出来ます。
この検索詳細設定をしておくと、日本語や英語の関連文献を探す事が可能です。
全世界の論文か簡単に読めるのですが、そのような状況で日本語論文の価値は低いと感じます。(私は日本語論文です)
論文検索していると、自国の言語で書かれているものが出てきますが、とても読めません。
ロシア語、韓国語、アラビア語などで論文書かれていても読めないと研究に利用出来ません。逆に私の論文も日本語なので世界にはー全く通用しないということでしょう。
早急に英語論文へのリライトが必要と思っています。
大学院に行かなくても研究はできる。
今や、大学院など研究機関にいかなくても理系でなければどこでも研究する事は可能です。
先行論文もほとんどネット上で検索できますし、Amazon使えば、海外書籍も簡単に入手できます。
Sasなどの解析ソフトもアカデミック版として自宅pcにダウンロードしてサーバー上で一部利用することもできたりしました。(普通に契約すると相当の費用が通常発生します。)
大学院に行く必要性
大学院に行く理由としては、様々な研究資材を基に仮説を立てて、立証していく過程の中で、教授や院生と議論したり、考えをまとめたり、発表したりして整えていく作業が有用であり考えが洗練されていくからでしょう。
勿論、大学院に行かないと学位はもらえません。また学位をもらうために所定のカリキュラムを修了する必要もあります。
つまり、文系なら、研究については誰でも、どこでも開始できるし、知識力を高める事は可能です。
しかしながら、その研究成果を世間一般に認めて貰うには、研究過程の訓練過程をクリアした品質保証されている人物が書いた物である証明が必要であり、それが修士号であり、博士号を保有しているかどうか?ということではないでしょうか。
この事が大学院で博士号を取る意味でもあると思います。
本日もご購読頂きまして誠に有難うございました。